RYOTA YAMADA

Monday, October 19, 2015

昨夜の狸に再会



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 昨夜の野営地からさらに下流へ数キロ下った場所にテントを張っているのだが、昨夜出会った狸にまた会った。何かがアシをごそごそと鳴らしながら、テント脇にある湿原の獣道をこちらへと移動してくるので、ヘッドライトの光を当ててみると、なんとなつかしい姿がそこにいたのである。昨夜は下流に向かって右岸にテントを張り、今夜も右岸に張っているので、川沿いに続く同じ獣道の脇にテントを張っている可能性が高い。日が暮れたので、巣穴から餌場へと、いつもの時間にいつもの通勤経路を通っている途中なのだろうか。逃げもせず一メートル先でマイペースにごそごそと何かを探している。人間が餌をくれると学習しているのかどうかは分からない。
 人間と違って顔の見分けもつかないというのになぜ同じ狸だと思うのかといえば、まるで超肥満児の飼い猫のように、ずんぐりむっくりとしていて、のっそりとしているからである。民話に出てくる、月夜に腹鼓を打つ、どこか間の抜けたイメージがぴったりだ。今夜は三日月だが、七日後の満月の夜にまたこの湿原にテントを張って、彼がぽんほこと腹を叩く姿を見てみたい。
 しかしもしかしたら、がんらい狸というものはこのような動物なのであって、都会で見かける狸の方がいくぶん変わり者なのだろうか。たしかに民話として語り継がれているからには、それ相応の根拠があるのだろうし、氷点下に達する湿原で生きていくには、毛皮も脂肪もこれだけ太って見えるだけの分量があったほうが暖かろう。だとしたら昨日と同じ狸を見たのではなく、別の狸を見ただけのことなのかもしれない。もしくは化かされているだけで、狸もなにも、目が覚めてみたら湿原の中でなく、東京のベットの上なのか。
 そして、こんなことを書くと僕のことを嫌いになる女性がいるかもしれないが、この狸、ポン太と名を付けてペットとして飼いたいほど愛らしいのだが、同時にまるまると太っていて美味そうなのである。貝やエビは捕って食べているのだし、「狸がいたので捕って食ってみた。こいつがなかなかいけるのである」と書かなければ不公平なのかもしれない。「あんたがったどこさ、肥後さ・・・・・・」の歌が頭を巡る。

 湿原の夜はかなり底冷えする。水を含んだスポンジのような、足を運べばぐじゅぐじゅと水の染み出るアシの堆積物の上で寝ているのだから当然か。たっぷりとあるその水分が昼間の陽光で暖められ、夜になって蒸発したときに放射冷却で周囲の熱を奪うのだ。テントの外側に雨除けのフライシートを張るが、その内側にいつもよりも多い大量の霜が付いている。地面から立ち登った水蒸気が凍り付いたこの霜が、この放射冷却の状況証拠なのだろう。テント内の気温が二度ほどであったから、外は確実に氷点下だ。


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