RYOTA YAMADA

Wednesday, September 30, 2015

高麗川に遊歩道の大規模土木工事が……

 高麗川を海までカヌーで下ったばかりだが、その中でも自然が一番豊かな区間(  http://ufootprint.umiack.com/?map=y&id=19gp3u9to5xs9lnf&ll=6&ms=3&tr=y )に、三億円かけて川沿いの遊歩道を作るらしい……この方たちの情報が( http://komagawa.link/ )ソースだ。発起人の一人を知っているが、ぼくとつな好人物である。

 僕は作る側の声も、守る側の声も、直接には聞いていない。ほんとうはしっかりと状況を把握してから意見を言うべきだが、この工事は根耳に水だそうで、どうやらもう来月には始まってしまうらしい。時間がない。なので、おそらく数えるほどしかいない、この川をカヌーで下った人間の視点から、率直な意見を書いてみたい。僕は生物学者ではないが、少なくとも現場で、山川草木鳥獣虫魚により近いカヌーの視点からこの川を観察しているのだから、臆していてもしかたがない。
 
 高麗川は里川である。人と自然が関わり合いながら川と触れ合う場所だ。しかしながら、この大規模な土木工事は、人と自然の共存という領域を大きく踏み外しているように思える。以下のステップで工事をするらしい。
・まず重機が河原に入れる道を確保するため、河原を整備する。
・河床を一回重機で掘り下げ、川筋を清流(地名)側によせる。
・掘った砂利を栗坪側に積み上げてできた土手を清流橋上流は石積み工法、下流はストーンネット工法、コンクリートで土台を固め上部に幅2mの遊歩道をつくる。

 日高市はシンボルとしてカワセミを掲げている。なんとも皮肉な話だが、日高市は、この区間におそらく両手で数えるぐらいしか生息していないそのカワセミを(カヌーが近づけばカワセミは下流へと飛んで逃げる。川を下るカヌーがそのカワセミに追いつけば、また下流へと飛んで逃げる。カヌーで川を下れば生息数の、一桁違っていたとしても大雑把な目安が掴めるものと思われるが、この区間で見かけたカワセミの数といえば、たかだか二匹であった)、自らの手で殺すのだろうか。殺す、という表現は過激に聞こえるが、それが客観的な言葉のように僕には思われる。カワセミの視点に立ってみれば、住む場所と食事を奪われて(人間から一定の距離を保てる巣穴の土地と、人間から一定の距離を保って小魚を狙える枝や岩)、引っ越し先もないという状況なのだ(川しかないだ。住む場所は。しかもカワセミの縄張りはとても広い)。もし彼らが言葉を話せれば、「お願いです。助けてください。殺さないでください」と言いたいはずだ。
 そして生物はカワセミだけではない。

 この大規模な土木工事は、自然と人間の共生、ではなく、人間の無知、ではないかと思えてしまう。言い過ぎだろうか。人間側のメリット、というものがあまり思い当たらないのだ。遊歩道により人が楽しもうとしている自然を、そもそも壊すのだから。
 高麗川だけではない。日本のあちらこちらで繰り返されている問題だ。それを僕は、自然のディズニーランド化、と捉えている。人は快適な環境で楽しみたいのだ。それが人間の本質だ。しかしレールに沿って動くカートに乗り電気仕掛けの動物を見たところで、いったい心が和むのだろうか。人間は自分自身をもっと理解しなければならない。

 善と悪の両極に分けて考える善悪二元論は避けたい。人間一人一人を見れば、他人や社会や自然を尊重しながら、ささやかな幸せを求めて生きている、善良な隣人だ。しかし、そんな個人が集まって社会という集団を形成すると、個人の思考と行動からは推察することができない、創発という新たな次元の性質がそこに現れる。それを目の当たりにすると、「愛しき人間の愛しき喜劇だなぁ」と、しみじみした思いに浸り、川へと出かけて夕日を眺めたくなってくる。



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